『天気の子』新海誠

5年前の夏、この映画が公開された。当時私は中学一年生で、映画館では4回観た映画だ。それから5年、私は高校二年生になって、今日はインターネットでレンタルして観た。なんというか、結構思い入れのある映画なんですが、純粋な若気の至りってなんだかいいな~とか思ったりして。当時はまだ子供だったから、自分が何に感動したとか何に鳥肌を立てたとか言語化する能力がなくて、ただあの感覚をまた味わいたくて観てた。

誰かのために人生を棒に振れるとか、チョーー若い!若さ故の行動力。それを許してくれる大人の存在もまた、大切なのだ。私もそんな大恋愛がしてみたいもんですな~。情けなくてだらしなく見える男の子が、意外と頼りがいがあったり、サバイバル能力に長けていたり、大事な時に決断力があったりするのに、私は弱い。。

天気の子ってラブレターみたいな映画だと思った。新海誠って本当に愛の伝え方が上手い。散々天気が人の情緒に関係することを述べて、皆が晴れの日を望むことを明らかにして、それから君を愛してるから天気なんかどうでもいい、青空がないことなんかより君がいない世界の方が嫌だ。って並の表現じゃない。その上、比喩も上手い。帆高が銃を向ける瞬間は、世界が全部敵に見えてしまう。あまりにも若い。つまらない大人が嫌いで、分かってもらえないのが嫌で息苦しくって。

王道映画かもしれないし、これは新海誠監督の自己満足映画かもしれないけど、私はすごく好き。新海誠監督にいつも夢を見させてもらってる。彼のかく東京が本当に好きだ。

ニンゲン、気持ち悪い

私の精神が幼いから、受け入れられないのだろうか。

今日は球技大会だった。学校の皆が一緒の場所に集まって、人が集まると本当に気持ち悪い。一人一人に人生があると思うと重すぎて心が耐えられない。人生って重い。都内の駅でこういう気持ちになるけど、東京は、特別だから好き。キラキラのシールを頬に貼る女子、クルクルに髪を巻いてハチマキする女子、ワシャワシャのついたうちわ(映え重視)、キラキラの大きめサングラス、クラスカラーに光るペンライト、球技大会のちょっとピリついた、熱い応援の雰囲気に酔いそうになって、気持ち悪かった。こういう現代のSNS向けの青春、好きじゃない。承認欲求って、SNSのせいで助長された?

久しぶりに銀河鉄道の夜聞いて泣きそうになった。独りになると沁みるバンド、銀杏BOYZ。聞いたのはゴイステの方だけど。やっぱり私みたいな人間は一人でいるべきなんだと思った。一年のところに、堂々とイヤホンして一人で音楽聞いてる男の子がいて、こういう人間は私に近いと思った。今日は普段話さない人とも話したけど、本当に喋るのが苦手。上手い返しどころか、普通の返しすらできない。。。鬱。

行動の規則性がない。社会性がない。どうしたらいいかわからない。

「こういう時、どんな顔すればいいかわからないの。」

綾波レイになりたい。

一人でいれるくらい強くなりたい。私心の中で綾波レイロールモデルにして生きよう。

でも本当は、友達ほしかった。深くて、心から理解し合える、気軽な友達。重い関係とか、気を遣いすぎる関係はめっぽう嫌だ。面倒だもの。

私が上手く話せないのはきっと他人に心を開いていないからだね。本当は仲良くなれるはずの子も、私が心を閉ざすから気づいてもらえないのかもしれない。人間不信だから。不慣れな人と話すの緊張するし、自分出せない。意味の分からないところで共感したりする。見当違いな質問とかする。最悪。

私の青春はこんなに惨めなものだけど、そんなに後悔してない。

一人になりたいけど、一人は嫌。大学では友達出来るかな。

東京コンプレックス サブカルコンプレックス

こんばんは、最近毎日夜は死にたくなりますが(精神科医は正常って言ったケド)、今泣きながらこの文章を書いてます。

私は、東京コンプレックスとサブカルコンプレックスを持ってます。地雷はとても多い。今日、地雷踏まれちゃったから夜死にたいのも相まって泣いてしまった。

本当はサブカルコンプレックスの方が強いんだけど、今日は東京コンプレックスの話。

ちなみにサブカルコンプレックスでは、日本の文化的サブカル作品で自分の知らないこと話されると、すごい悔しくなるなどする。大して作品に触れられてないから仕方がないんだけどね。鬱の後遺症で一般的な同年代より文字読むの遅かったり、内容が頭に入ってこなかったりして、ちょっと逃げてしまってる一面があるのは、やめたい。一気読みや一気見ができない体になっちゃった。何にでも体力がない。

東京コンプレックスは、東京に対する気持ちが強いから。東京、あの大都会。大魔境、東京に住む人たち、本当に羨ましい。特に23区内、中央線沿いとか。私はうつ病になるような人間なので、正直大都会には向いてない。人が多いのとか、苦手だし、人間は気持ち悪いし。だから、ちょっと郊外くらいに住むのが丁度良いと思ってる。都心に簡単に遊びに行けるって感じの。

そこで問題になったのが大学の立地問題。東京23区内にある大学が優れてて、八王子とかにある大学は劣ってるみたいな話し方されて、不快だった。何が不快だって、自分の出身は八王子よりもっとずっと田舎だし、上述のように都心の大学は病みそうだし。Twitterでよく流れてくるような、田舎は負け組で都会は勝ち組みたいな考え方も正直嫌気がさしてる。でも、じゃあなぜ私は東京に行きたいの。なぜ東京にこだわるの。都会が優れているから?わからなくなってきた。

 

東京はいろんな人がいて、いろんなものがあって、古いものから新しいものまで、美味しいもの、変なもの、マイナーサブカルチャーに触れやすい場所。

 

私は確かに都会が好き。だけど、これに限らず優劣をつけるのは性に合わないのかもしれない。別に好きだからと言ってどちらが優れているとか思ったことはない。結局その個人に合うか合わないかの問題。だから優れてるとか劣ってるとかないよ。適材適所です、、

なんかとにかく、私は優劣の話が苦手らしい。

もう何でもいいから、はやくあの魔境じみて開けた世界に飛び込みたーーーい!!!

そして私も悪魔になるんだ!悪魔のように暗く黒い心を持って、世界やっつけるから。悪い奴、嫌いだし。おやすみ世界。

アイデンティティ皆無

何をするのにも中途半端で、好きなことにも中途半端になってしまった。

絵、好きなのに思い通りに描けないのが結構つらい。今まで描いた量が少ないから当たり前

映画、漫画、アニメ、本、もっと観たい、読みたい。マイナー作品も隅々まで網羅したい。消費するんじゃなくて、ちゃんと観たい。

ギター、下手にしか弾けない。もっと上手に弾きたい。思い通りに弾けない。

変に真面目に中途半端な勉強してきたせいで、ちょっと頭がいいくらいの、中途半端な成績で、好きなことに費やす時間が少なくて、何者にもなれてない。勉強を言い訳に、好きな物に一途に時間を費やせなかった私のせいで、もう未来は決まってるような気がする。もっと好きなことをたくさんすればよかった。

うつ病で、世界狭くなって、好きなものを忘れちゃった私が悪いのだけど、思い出すのが遅くなった私が悪いのだけど。そんなこともう言い訳にしてられない。

 

最後の砦が美大。これを逃したらきっともう終わり。入るのも難関。入れなかったら私、もっと本当に何者にもなれないね。

 

ああ私何者にもなれない、何者にもなれない病

眠れない

眠れない。本当に眠れない。先あんな文章を書いて、さっさと寝ようと思ってたのに。全然眠れない。そんな時は寝なくてもいいのでしょうか。大森靖子の「ハンドメイドホーム」聴いて心落ち着けようとしてる。もう頭がどうにかなりそう。今思ったけど、「どうにかなりそう」って言葉は、おかしくなりそうと、なんとかなりそうの二つの意味あるね。私残念ながら今はおかしくなりそうなんだ。明日に備えられない。夜を乗り越えられない。ちゃんと眠りたい。だめだ、絵とか書こうかな。つらい。全部私が悪い。

人並みに器用にこなせない話

 私は今日、学校を休んでしまいました。体を壊したからです。金曜日が休みだったにもかかわらず、私は勉強、課題を怠け、映画や小説、アニメに没頭していました。日曜日の夜、終わっていない課題を午後10時から始め、終わったのは翌日午前3時。美術の課題でした。同じ日程で月曜日の夜も過ごしました。保健の課題です。僕は明確な終わりのない課題が苦手でした。大してクオリティも高くないのに謎の完璧主義を発揮してしまうのです。だから、そのような課題が鬼のように出るコロナ禍は地獄でした。私はそれで鬱になったとも言えます。

 最近の悩みは体が脆弱なことです。抗うつ剤を服用し始めてから、私の体は無理ができないようになりました。誰にでもあるでしょう、ちょっと夜更かしをして頑張るなど、できなくなりました。こうやってすぐに壊れて今日は一日中眠りました。抗うつ剤はきっと自分の体に優しくせざるを得なくなる魔法なんだ。三学期は風邪をこじらせたのは仕方がないとはいえ、もう7回も休みました。それなのに、私の両親は一切私を咎めませんでした。母は体がまた壊れないよう、心配しながらも、何時には寝ようと一緒に考えてくれました。父は体は大丈夫かと聞くだけでした。むしろ、私は頑張っていて偉いとまで言いました。そんなことはありません。自己管理がなっていない私が偉いはずはないのです。私は本当に反省しました。中学生の頃から体を雑に扱っていた私にきっとツケが回ってきたんだと思いました。今は、弱い自分の体が憎いです。いつか、受験勉強のやる気が出て平日6時間の勉強を三日連続で睡眠時間を削ってやってしまった時も、後日何日か寝込みさらに風邪をこじらせたのですから。

 こんなにやさしい両親をもって私は幸せ者です。美大に行きたいというのにこんな風ではいけないと思いました。まだ父に美大に行きたいこと、伝えられていません。きっと、高い学費に内心困りながらも、私に悟られない顔をしながら承諾するでしょう。父はそういう人だから。父はきっと私を応援してくれます。頑張りたい。踏ん張れないこの体が憎い。心は頑張りたくても体が着いてこられないのは一番つらい。父はいつも私のペースでいいと言います。有難い。でも、そんなことでは受験は何とかならないと知っています。私は父の言葉をかみしめて、重い体を起こして、頑張りたいのだ。

強烈な思春期の、研ぎ澄まされた感覚が羨ましい

 はじめまして、名前を坂本ミヤーと言います。唐突ですが、今日は風が強くて、強風注意報。体感温度は4度。僕は生脚JK☆なのでとても寒い。私は風に飛ばされるスカートを押さえる気もなく、吹かれるがまま、帰路に着きました。不本意にも追い風に背中を押されて、今高所に立ってしまった自殺志願者ならもう死んでしまっただろうと思いました。暖かな春が来たと思えば雪が降り、私たちはなんとなく上手くいってない政治と天気に振り回されている。そのせいか私は憂鬱が二週間ほど続いています。

 ところで、私には好きな人がいます。好きな人はとてもセンスが良くて、文才、画才、対人能力、何でもできる無敵の人である。そう思っていました。しかし彼には彼なりの悩みがあったみたいです。それが僕には少しだけショックで、少しだけ安心しました。勝手に彼を無敵の人にしていたけど、色々乗り越えた結果が今の彼なのだと思うと感慨深い。(何様なんだ)

 彼との付き合いは二年と、短くもあり長い月日ですが、彼は私に生き方を教えてくれました。このブログだって、彼の影響です。文を書くには初々しくて拙いですが、頑張って書いてみようと思います。

 三年前の私は確実にうつ病でした。残念ながら精神科にかかることが身内に制限されていましたから、医師の診断は得ていませんが、それはそれは地獄のような日々でした。ベッドで寝たきり、動く気力も物理的なエネルギーもない。あの頃は、食事も睡眠もちゃんと摂れていませんでした。頭の中も空っぽ、集中力は無いし、独りになると自分を傷つける言葉ばかりがぐるぐる悪い龍みたいにそこにいる。でも、1人になりたかった。だけど寂しい。私は文字すらも読めず、この時外国にいた私はサブカルチャーとは無縁でした。こんなに面白い世界があるとも知らず、ただ自分の中に塞ぎ込みました。

 彼と出逢って変わりました。私は変わりました。日本に帰って、日本のサブカル文化がどれだけ魅力的か身をもって実感しました。悔しかった。もっとはやく知りたかった。既に病状が良くなってきていた私は、去年の6月、身内からの許可が降りたので精神科に通い始めた。もっとはやく治療したかった。もっとはやく文字を読みたかった。アニメや映画だって頭には入らないのだ。どれだけつまらない人生なんだ。対して彼、彼はずっとサブカルな人生を送っていて、感覚も研ぎ澄まされて、本当に羨ましい。私が知らない世界をたくさん知っている。作品の数、経験、知識、何もかも負けている。センスに惚れるということは降伏するのと同じことなのだ。

 3年のハンデはやはり大きいものだった。言い訳になどしたくないが、見過ごしてがむしゃらに努力できるほどの体力ももう、残っていなかった。なんとなく今までの勉強の延長線の大学に進んで、何となく大学生をしようとしていた私だが、きっとサブカルチャーコンプレックスを拗らせて死ぬだろう。きっと死ぬ。死ぬ!

 そんなコンプレックスを拗らせた私はついに東京の美大に行くことを決心した。東京のコンプレックスも持ってるから。きっと東京でなければ死ぬ。勉強頑張ろう。

坂本ミヤー